なぜか話が弾む、上映後

パネル・ディスカッションの付記になりますが、

日曜日のパネルは、劇場内だけでなく、劇場でのロビーでも続きました。一枚板のとてもすてきなベンチが2脚あり、そこに鬼塚先生、松原マリナさんもおつきあいくださり、お話が続きました。ずいぶんたくさんの二十人以上の方々が残ってくださいました。ブラジル人の子供たちの教育の問題などについていろいろ話が盛り上がりました。松原さんが実際子供たちの教育に関わってきた母親として、また、子供たちにポルトガル語を教える活動をしている在日ブラジル人、当事者として語ってくださって、皆さんに様々なことが伝わったのではないかと思います。

松原さんが最後に、「これまで在住外国人の問題関連の活動をする人たちとは話す機会があったけれど、こんなにたくさんの一般の人たちと話したのは初めてです」とおっしゃいました。一般の日本人に在住外国人の抱える問題は、私たちの社会の問題であることを認識してもらえるように、こういう機会ををもっと作っていけたらと思いました。東近江の時も、犬山の時もそうでしたが、なぜかこの映画を見た後はみんなの話が弾みます。(犬山では、上映企画をしてくださった皆さんが試写の時も見た後えんえんお話をしたとのこと。今回の上映後に私も加わり、数時間にわたりおしゃべりしてしまいました!)映画が場を作ってくれたんだなと、作者としてはとてもうれしく、作りがいを感じた次第です。

今回、このようなパネルという素敵な機会を作ってくださった京都シネマのスタッフの皆さん、そしてパネルに参加してくださた鬼塚先生、松原マリナさん、そして来場下さった皆様に、お礼を申し上げます。


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オタビオさんのトーク

今日は上映後に、パステウ・ド・ブラジルのオーナー、ルイス・オタビオさんが来てくださって、お話をしてくださいました。限られた時間でしたが、オタビオさんの日本での体験を語っていただきました。日本語がまったくできない状態で、12歳の時にブラジルからやってきたこと、中学校で不登校になりかかったけれど、小学校の先生の励ましで行くようになり、卒業したこと、両親がブラジルに帰った後も、一人で日本に残り、食べて行く為に溶接などの仕事をしていたこと、自分からきっかけをつかんでいき、今の仕事に至った事などなど。緊張気味の彼でしたが、会場の皆さんに彼のこれまでの努力がきっと伝わったと思います。

暖かくオープンなオタビオさんの店は、居心地の良い空間です。それは、字幕を手伝ってくれたホベルトさんやパメラさんが東京でやっているハバダス・クルチュラ・クラブも一緒。こちらは映像や音楽を通じて、来た人同士が仲良くなれる楽しい場です。こんなところに若いブラジル人たちの抜きん出た文化パワーを感じる私です。

彼は、お話の後、京都シネマの若いスタッフとフットサルを一緒にする相談をしていました。いいですね、若者は、すぐに仲良くなれて。


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大忙しの週末でした

21日から京都シネマでの劇場公開が始まりました。初日は、舞台挨拶。昨日は、関西ブラジル人コミュニティの松原マリナさん、京都産業大学の鬼塚先生をお招きしてのパネルディスカッションがあり、本当にたくさんの方にお出でいただきました。また、初日は、上映の後、愛知県犬山市での上映会があり、そちらにもかけつけました。

犬山はペルー出身の人たちが多数住む市で、上映会の後の質疑応答も、ブラジル人の相談員の大島さんがスペイン語で通訳してくださるという状況になりました。別の会場では、バザーが開かれ、各地の食べ物を売る人たちもいて、とてもにぎやかです。スペイン語の落語もあって、私も大笑いしました。市の方、国際交流協会の方、外国人国際交流員の方、皆さんの息がとても合い、ポジティブなエネルギーにあふれていました。「厳しい状況の中、普段は暗い表情を見る事が多くなってしまったけれど、今日は、皆さん、明るい顔を見られた」とスタッフの方がおっしゃっていました。

国は外国人の子供たちを義務教育の対象にしていないけれど、犬山では外国人の子供たちにも全員学校に来てもらうような取り組みをしようと気運が盛り上がっているそうです。犬山の現場の人たちの前向きな言葉に元気をいただきました。

京都でのパネルの日には、日本に来ているブラジル人労働者の社会学的分析のようなものが入っていない、リサーチをしたのですかとというような指摘をした観客の方がいました。その時にも、お答えしたのですが、社会問題を提起することがこの作品の主眼ではないということです。実際映像の中には、日本の負の歴史の証言、現在の社会問題の指摘などもあります。しかし、一番私が表したかったことは、常に人間は世の中の流れに翻弄され、社会的不公正も多数存在してきた。でも、大多数の人間は、主人公の紺野さんのように、それを現実として乗り越えて、なおかつ次の世代により幸せになってもらいたいと懸命に生きてきたという尊い事実です。そういう先人に感謝したいという思いで作ってきました。

だから、紺野さんの姿が多くの人の心を動かし、日本に住むブラジル人の背景への理解や共感を促すことができていると思います。

松原マリナさんがブラジル人当事者の立場から現状への熱い思いを語ってくださり、会場の皆さんにもひしひしとそれが伝わったと思います。ひとりひとりが自分の問題としとらえて、いったい私は、私たちは、どういう社会で生きたいのか、どういう未来を次の世代に手渡したいのかということを改めて考え、行動していく機会になればと思います。

 

この記事へのコメント
栗原さん。はじめまして。
どこにメールをしたらいいのかわからずに、ここのコメントにさせていただきます。
ごめんなさい。

私は、今サンパウロにいる学生です。
京都外国語大学でポルトガル語を勉強し、今、念願の留学生活をブラジルで送っています!!

私は、留学前に京都シネマさんと同じ3階のSARAというブッフェでアルバイトをしていたこともあり「ブラジルからきたおじいちゃん」の公開をめっちゃ楽しみにしていたのですが、京都シネマさんで公開される前にサンパウロにやってきてしまいました。

京都シネマのスタッフさんと休憩所が同じなので、私が出発する前に公開してーと頼んでいたのですが…。

8月に日本に帰るのですが、私が「ブラジルからきたおじいちゃん」紺野さんの姿を見ることはできるのでしょうか??

栗原さんのこのサイトをみるだけで胸がわくわくしました。
ぜひこの作品をみたいです!!

ご多忙でいらっしゃると思いますが、もしよろしければxxxxxx@xxxxxに返事ください。

則政友紀

Posted by 則政友紀(のりまさゆき) at 2009年03月24日 04:00
わあ、うらやましい! サンパウロで留学生活ですか。

楽しみにしてくださっていたのですね。ぜひご覧いただきたいです。メイルアドレスに上映会の情報等、お知らせします。

がんばって勉強してくださいね。

Posted by 栗原奈名子 at 2009年03月24日 16:32

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紺野さんからのファックス

1週間ほど前に、ある中学での上映の際に子供たちが書いてくれた感想部文や、その他の新聞掲載記事などを紺野さんにお送りしたところ、昨晩、紺野さんからファックスが届きました。「今日、受け取りました」とのことで、さっそく読まれて、「生徒たちの純粋の感想文、興味深く読ませていただきました。ありがとうございました。」とのことです。

中学生たちが紺野さんの姿に動かされて記した数々の言葉が紺野さんを力づけたに違いありません。こんなにすばやくご連絡をいただくなんて、よほど喜ばれたのかなと、私もうれしくなりました。

子供たちに作品が難解などということはなく、みなそれぞれに受け止めてくれていました。これをきっかけにさらに子供たちに見てもらう機会を作っていきたいと思っています。


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世代をこえて伝える

前作の『ルッキング・フォー・フミコ』の上映が先の土曜日に大阪大学の懐徳堂で行なわれました。女性のキャリアに関する集まりでの上映で、私の話、パネルディスカッションもあり、参加させていただきました。本当に久しぶりに前作を見る機会で、どきどきしていました。

学生さんや就職してまだ一年たたないというピカピカの社会人、大学職員の方、大学の先生たち、また、一般の観客も含めて、60人以上の方が集まりました。ブラックボックス型の気取らないスペースです。パネルでは、武田佐知子副学長がご自分のパーソナルな体験をユーモアたっぷりに話され、場が和らぎました。交流会も、お隣の真っ白なスタジオスペースで行なわれ、なかなか素敵な集まりになりました。

育児、お年寄りの介護、仕事などをこなして、日々の大変さを語られる方、とにかく親などあらゆるリソースを活用して対応している方、仕事を続けたいなら、色恋ではなく、自分をサポートしてくれる人を選びましょうというとても現実的な先輩のアドバイスまで、いろいろな意見が飛び出しました。また、ウーマン・リブという言葉すら知らなかったという若い方までいらっしゃり、語り継ぐ事の大切さを指摘してくださる先生もいらっしゃいました。

私自身としては、恥ずかしながら、結構いい作品だなと思えたのがうれしかったです。作品中、よくぞと思うほど、いろいろ厳しい質問をしていて、当時冷や冷やしながら、皆さんに尋ねたことを思い出しました。本当に皆さん、普通なら無礼だと思われるような質問に真摯に答え、真意を明らかにしてくださった、そしてよくぞ撮影に協力してくださったと、改めて心から感謝する次第です。

今回、ウーマン・リブという言葉も知らない若い女性が、「衝撃を受けた」と言ってくださいました。「女性たちがこんなに情熱的でアクティブだったとは。」また、「今、進路を考えているが、参考になった」という声も。そして、「今、私たちがここにいるのは、彼女たちのおかげである」という言葉が若い女性たちの口から素直に出てきました。

作った後、相当くたびれたプロジェクトでしたが、こうして世代を何代も越えて、こんな風に女性たちの営みを伝えられる作品であることがわかり、とても幸せに感じています。また、この作品を改めて若い人たちに見てもらえるように、こちらも努力しなくてはと思っています。

そして、今は亡き大和史子さんと友達になることができた幸せをかみしめています。

 

この記事へのコメント
『ルッキング・フォー・フミコ』上映会イベントに参加した学生です。今日は京都シネマへ『ブラジルから来たおじいちゃん』を観にいきました。映画館では前作から受けたような強いインパクトは感じなかったのですが、数時間後、まるでボディ・ブローを受けたように、じわじわと効いてきました。「日系人」「移民」について思いを巡らせましたが、タイトルが言いえて妙ですね。勝手に、「おじいちゃん」には確かに日本人の血が流れているけれど「ブラジル」に同化していて、日本へはブラジル人を訪ねている、だから迷いのようなものがその表情にはないのだと考えました。印象的な言葉がいくつかありましたが、おじいちゃんの「何にでも満足すること」という幸福観、いいですね。私も同感です。
Posted by michiyo at 2009年03月24日 02:23
ふたつともご覧くださったのですね。ありがとうございます。

紺野さんご自身は、やはり日本への気持ちも強く持っておられます。しかし、子供さんたちが住んでおられるブラジルに骨を埋めるつもりでいらっしゃいます。

迷いがないのは、様々な困難を乗り越えて生き抜いてきて、自分の人生に思い残すところはないという境地に至っていらっしゃるからではないかと思っています。

それに、世界という大きな文脈で見た場合には、何人かということもそんなにたいしたことではないと言っておられるように思います。昔、日本の中で薩摩だの長州だのの国とか言っていたけれど、今はもうひとつの国になってしまっていますし、いつか世界もそんな風になるのではないかというのが紺野さんの意見です。

前作とずいぶん受ける感じは違うかもしれません。でも、共通するテーマはあると思っています。

Posted by 栗原奈名子 at 2009年03月24日 16:41

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タケリア・パチャンガでのプレイベント

タケリア・パチャンガでの集いでは、お客さまで居心地のいいお店がいっぱいになりました。店主の小林さんのおもてなしの心がすみずみまで届いた、楽しいひとときになりました。

私は、この作品を作るきっかけについてと、作ったり上映したりする中で知り合ったブラジル人の若い人たちの事などを話しました。京都産業大学の鬼塚先生がいらしてくださり、映画におけるアイデンティティの問題について指摘されました。(あと、ネーネーズの、沖縄からアルゼンチンに移民に出発しようとする人の歌、IKWUの存在をご紹介くださいました。希望と不安の入り交じったせつない歌です。)小林さんのポルトガル語の先生であるブラジル出身のマルシアさんもいらして、パステウを作ってくださるなど、ブラジル気分で盛り上がりました。

京都のラテン好きが集まるお店とあって、音楽をなさっている方などもいらして、とても自由な雰囲気です。また、これまで知っていたけれど、ゆっくりお話しした事の無かった方とご一緒できたり、再会があったり、にぎやかなことでした。6時から始まった集まりですが、わあわあお話ししていたら、いつのまにか夜中を過ぎてしまっていました。

また、ぶらりと訪れたいアットホームなお店です。

http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260302/26002472/


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