紺野堅一さんに出会ったのは、父の出張についてブラジルに行った30年前、初めての海外旅行ででした。年齢はずいぶん離れているのに、話をすると楽しい。長いスパンで物事を見る紺野さんの視点がとても新鮮でした。たんたんとした生き方にも共感しました。どうしてこんなにいつも穏やかでいられるのか、それを支える強さはどこから来るのだろうかと思いました。

家族ぐるみのおつきあいをしていましたが、私がアメリカに引っ越したこともあり、連絡が途絶えました。しかし、03年にブラジルに行く機会があり、再び紺野さんとのおつきあいが始まりました。

そして、彼が毎年、日本に来て、1ヶ月間滞在することを知ったのです。ブラジルからの旅は高齢の紺野さんにはよほど大変なはずなのに、なぜ日本に飛行機だけでも26時間かけて来るのか、また、いったいどんなふうに日本で過ごしているのだろうか、そして、日本とブラジルを行き来しつつ何を考えているのだろうかと関心を抱きました。私は、おじさんの移民としての人生もまだきちんと聞いたことがない。一緒に日本を旅しながら、話を聞こうと決意して、カメラを自ら手にしました。

日本のあちこちを旅するおじさんにひたすらついて歩きました。ブラジルから日本に働きに来ている人たちが多数いることは、ニュースなどで聞いていましたが、実際会ったことはありませんでした。おじさんのおかげで彼らの生活を間近に見せてもらい、ブラジル料理で暖かくもてなしていただき、ブラジル人が日本社会で生きていく時に直面するさまざまな困難の片鱗もかいま見ました。

同時に、この旅では、紺野さんに縁の深い場所で、おじさんの人生を聞く事もできました。
この作品で、紺野さんに自らを語ってもらうことでパーソナルな形で移民体験を伝え、今、日本にやって来ている2世や3世たちがどういう流れの中にいるかを明らかにしたい。自らの移民体験を次の世代に伝え、彼らを見守ろうとする紺野さんの姿と、彼と若い世代とのつながりを表したいと思いました。

現在、人と物とお金が世界を駆け巡るグローバル化は加速しています。日本でもその結果、格差などさまざまな問題が生じてきました。紺野さんは移民として70年以上前からグロ−バル化を生き抜いています。90歳を超えた今も遠い未来にまなざしを向けながら、暮らしています。そして、年齢の差も距離も人種もなんなく飛び越えて若い人たちの心に触れつつ、私たちに今を生きるための希望と勇気を与えてくれるのです。

栗原奈名子