紺野堅一

大正元年(1912年)、大阪府吹田市に半農半商の米屋の5男として生まれる。茨木中学校卒業後、上京し、夜学に通いながら出版社の見習いとして働く。 日本力行会の海外学校を経て、1931年(昭和6年)、神戸港からリオ丸でブラジルへ渡航。家庭奉公、パン屋の職人、農業、日本語教師など、11の職業を経験する。妻の照子さん(故人)との間に1男5女。2009年5月18日、サンパウロにて96歳でその人生を終える。


栗原奈名子

早稲田大学政経学部政治学科卒業。東京の出版社で働いた後、ニューヨークに居を移す。
ニューヨーク大学大学院パフォーマンス学科在学中にドキュメンタリー映画「ルッキング・フォー・フミコ」(93年)を制作。博士号を取得後、98年に大阪の国立民族学博物館で特別研究員として上方舞を研究するために、日本に滞在する。現在は関西とニューヨークを行き来しながら、映像の制作活動を行っている。

「ルッキング・フォー・フミコ」は、世界の数々の映画祭、大学、女性センター、美術館/博物館で上映、加えて海外のテレビでも放映され、日本の70年代の女性運動の歴史を世界に、若い世代に伝えた。国際交流基金、東京都女性財団、放送基金、NY芸術カウンシル、アストレア財団から助成を受けている。NY芸術財団フェロー。

サンフランシスコ国際映画祭、サーティフィケート・オブ・メリット受賞
全米教育映画ビデオ祭、多文化主義部門ゴールド・アップル賞受賞

東京国際映画祭カネボウ国際女性映画週間、マーガレット・ミード映画祭、ロンドン映画祭、フランス・クレテイユ国際女性映画祭、ボンベイ(ムンバイ)国際映画祭、ハワイ国際映画祭、オーストラリア・シドニー国際映画祭、アメリカン・フィルム・インスティチュート・ビデオ祭、サンフランシスコ・アジアン・アメリカン国際映画祭、スペイン女性映画祭、シカゴ・ウィメン・イン・ザ・ディレクターズ・チェア映画祭、ドイツ・ドルトムント女性映画祭、ソウル女性映画祭招待作品

スミソニアン・インスティチュート、シカゴ大学、コロンビア大学、バーナード大学、ミシガン大学、ブリンモア大学、東京大学、東京ウィメンズ・プラザ、ドーン・センター等で上映

米国公共テレビPBS放送、オーストラリアSBS放送放映

同作品は、日本国内ではシグロ、海外ではニューヨークのWomen Make Moviesによって配給されている。