2008年4月18日(金)の特別上映会(旧神戸移住センター)に、サンパウロから紺野堅一さんがメッセージを寄せて下さいました。
本日はたくさんの方達が遠近を問わず、お忙しい中をお出で下さってありがとうございます。
私は大阪府立茨木中学校、現在の茨木高校を卒業後、1931年(昭和6年)、19歳で単身ブラジルに農業移民として渡り、今年で77年になります。一番遠くて一番近いと言われる日本とブラジルの間です。昔は、船で1ヶ月半かかったことを思うと感無量です。
日本からブラジルへの移民は、1908年から始まり、今年で100年になります。その間に25万人が、ブラジルの新天地へ希望に胸を膨らませて渡ってきました。ところが、今ではそれより多い31万人がブラジルから日本に来ています。
そして、出稼ぎに来ている人々は一部の例外を除いて、昔、田舎で育ち、一家の犠牲になって働き続け、上級の学校に行けなかった2世、3世の人が多いと思います。
言葉、習慣の違いからいろいろの問題が起こると思いますが、どうか暖かい思いやりの心を持って、私どもブラジルの者たちを受け入れてくださることを切に御願いする次第であります。
ありがとうございました。
ブラジル、サンパウロ市
紺野堅一
2008年4月18日
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