作品に寄せられた言葉 <2> 


ポルトガル語字幕にも協力いただいたヴィデオ・アーティスト、ジャーナリスト、
ロベルト・マクスウェルがレビューを寄せて下さっています。



日本からブラジルへ、ブラジルから日本へ
ロベルト・マクスウェル(ヴィデオ・アーティスト、ジャーナリスト)

日本からブラジルへ、ブラジルから日本へ。これは、日本人移民とデカセギのブラジル人が国境を越えて生きてきた100年の歴史である。

両者はこの100年の歴史を共有している。だがしかし、人々がこの歴史について語る時、日本人移民は日本人移民、デカセギのブラジル人はデカセギのブラジル人、というように両者の歴史はつながりをもたないものとして、きわめて表面的な形で語られてきた。本来相互のつながりをもつはずのこの両者の歴史が、それぞれ別々のものとして、切断されたまま伝えられてきた。

日本人移民とデカセギのブラジル人、また、日本とブラジルは、時間的にも空間的にもかけ離れているが、今回ドキュメンタリー作品を完成させた栗原奈名子さんは、一人の人物を介して両者の間につながりを持たせようと、『ブラジルから来たおじいちゃん』を制作してきた。「おじいちゃん」こと紺野堅一さんは、日本からブラジルに移住して72年、現在92歳の人物である。栗原さんは、この紺野さんの旅に同行した。ブラジルから自分の故郷である日本へ、紺野さんは旅に出たわけであるが、それは自分の過去にアイデンティティを求めるためではなく、日本に住むデカセギのブラジル人の未来を共に考えるためである。栗原さんは感傷を誘う物語に訴えず、生きることの大切さを紺野さんから学び、人々に伝えようとする。私たちよりもずっと以前に国境を越えた状況を生き抜いてきた者の人生から、学ぶべきことは数多くある。

『ブラジルから来たおじいちゃん』は、日本とブラジルの100年の歴史を考える人たちにとって見逃すことのできない作品となっている。
(訳:山本利彦)




エネルギッシュな92歳
ロベルト・マクスウェル(ヴィデオ・アーティスト、ジャーナリスト)
"alternativa" (no.176, 10 de abril de 2008) &"overmundo"


ドキュメンタリー作品の主人公は、自分の殻に閉じこもらず、広い視野をもってグローバル世界を生きるモデルである。

92歳の日本人のおじいさんを撮ったドキュメンタリーの字幕を手伝っていると言うと、まったく関心を寄せない人たちがいた。そういう人たちは、歳をとることに対して恐れを抱いているため避けているのだ。それは変な考え方だと私は思う。年配の方々が主張することすべてが正しいとは言えないかもしれない。また、彼らの考えることは保守的でさえあるかもしれない。そう言われることは確かにある。しかし、それだけでは見落としてしまっている大事な部分がある。人生経験が豊富ということだ。それから、高齢になったからといって生きる力や記憶は失われることはない。私や読者のような若者にとって年配の方々は、生き方の教訓となるのだ。長い人生を歩んできたこの生きる力こそ、栗原奈名子監督の第二作目となるドキュメンタリー作品、『ブラジルから来たおじいちゃん』を制作するきっかけとなったのだ。栗原さんは言っている。「父の死で私の気持ちはすごく不安定であった。再び作品制作にチャレンジできるとは思ってもみなかった。」

栗原さんは、最初の海外旅行で作品の主人公である紺野堅一さんと知り合った。「父親を通して知り合った。」と栗原さんは当時のことを振り返っている。まだ1980年代のことであった。知り合ったのち、栗原さんはアメリカに勉強しに行き、最初のドキュメンタリー作品である『Looking for Fumiko:女たちの自分探し』を完成させた。この作品は日本における女性のある生き方を描いた稀なドキュメンタリーである。将来性のあるドキュメンタリストとして、作品は絶賛され賞を受けた。しかし、栗原さんが抱える生活上の問題が彼女を映画制作から遠ざけてしまった。今回、日本で紺野さんと再会することで、制作意欲が再び湧いてきた。

栗原さんの最初の構想では、紺野さんの生い立ちについて撮影するつもりだった。しかし、紺野さんの日本での行動を見ていて、栗原さんにとって重要となる紺野さんを取り巻く背景を発見した。「わたしはデカセギのブラジル人たちのことについて何も知らなかった。」と言う栗原さんは、紺野さんに彼らの生活を見せてもらった。「日本人は、この日本人の顔をしたブラジル人が誰であるのか理解していない。それで、私はこの人たちのことを撮るのが重要だと考えた。」栗原さんはこのように語っている。

撮影し始めた当初、デカセギのブラジル人についての記録映像を作ろうとしていた。しかし、紺野さんの案内役でブラジル人の生活を撮影していくうちに、別々に考えていた2つの計画、つまり、紺野さんの生い立ちを撮る計画案とブラジル人の生活を記録する計画案は、一つに合わさった。栗原さんは次のように言っている。「ブラジル人とコミュニケーションがとれるよう、私はポルトガル語を学んでいるけれども、紺野さんはいつも通訳者になってくれた」。ここがこのドキュメンタリー作品の見せ場なのだ。『ブラジルから来たおじいちゃん』で紺野さんは、自らの生い立ちを語る人物とブラジル人にインタビューする人物という、興味深い二重の姿をみせてくれる。私達は紺野さんのブラジル人の友達をよく知ると同時に、栗原さんのインタビューを通して紺野さん独自の世界観も知ることができる。インタビューをすればするほど、紺野さんは自分自身のことについて語ってくれる。
(訳:山本利彦)



作品に寄せられた言葉 
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