作品に寄せられた言葉 <6>
大学生の方に「ブラジルから来たおじいちゃん」を数カ所で見ていただく機会をいただき、
感想を寄せていただいています。
若い人たちの心にしっかり紺野さんの姿が刻み込まれています。 「ブラジルから来たおじいちゃん」が、これからの社会を担う若い方のビジョンに
反映させられる何かを届けられたら、監督/配給にとっても励みです。
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〇「おじいちゃんのゆっくりと一つ一つの単語を話していく様が一番印象的だった。一人の人間が話す言葉がここまで重く感じたのは初めてだった。」
〇「私が、この映画を見て、一番感動したことは、おじいちゃんは、本当の家族ではなくても、日系ブラジル人の仲間たちを本当の家族のように思い、心配し、協力し、愛していることです。そして、おじいちゃんも、多くの日系ブラジル人の家族から、本当のおじいちゃんのように思われ、信頼され、頼られ、愛されていました。このような人間同士の関係は、おじいちゃんと呼ばれている紺野さんの優しさあふれる人間性と、今の日本で失われつつある支え合いが、まだ生きているからだと思いました。沢山の苦労を重ねて、そこから得たものは、卑屈になることではなく、客観的に物事を見つめる上に、心を込めて考え、協力する力だったということに驚きました。」
〇「映画を見て、おじいさんの家族に対するように友人や知らない人にも優しく話しかける姿に感動しました。また、何事も辛抱強くやっていく事だという姿勢に、私は父の姿を思い浮かべました。父や飲食店をやっており、その姿と重なりました。」
〇「映画を見ながら私はおじいさんと一緒に呼吸をしているような感じを受けました。おじいさんの心が映画にいっぱいに盛られているようでした。私もこの映画を見て、日系人(特に日系ブラジル人)についてもう一度思いました。」
〇「紺野さんがかっこよくて仕方がありませんでした。」
〇「小学校6年間と中学校2年間、私には日系ブラジル人の友人がいました。ちょうど、映画に出ていた兄弟と同じ年頃だったので、その頃のことを思い出しながら見ていたのですが、私は友人の家族が、どのような経緯で、私が当時住んでいた町に移住してきたのか、そして彼女のおじいさんが、どのような方であったのか、何も知りませんでした。また、彼女が、中学時代になかなか学校に来られない時期があったのですが、もしかしたら、差別というものを感じて辛かったのかもしれません。もっとできることがあったのかなあと、とても切なく感じてしまいました。私は、そのときに、今学んでいるような知識を何らかの形で得ることができたら、何か違っていたと思います。」
〇「紺野さんの言葉は素朴でありながら、どこか私たちが忘れかけていることを思い出させてくれるような気がしました。」
〇「時代の経済情勢によって、人(労働力)の移動の動向も刻々と変化する点が改めて実感できる映画でした。日本の生産活動を支える労働力に、外国人労働者は不可欠でしょう。その人々の家族や将来をいかに保障できるのか、国家レベルのシステム構築は未だ遅れているのだと感じました。近年、報道でも頻繁に取り上げられているが、より多くの人が柔軟な思考を持つきっかけをつくる上で、この様なドキュメンタリーがより多くの人に届けられることを期待します。」
〇「紺野さんの佇まい、表情が素晴らしく目が離せませんでした。最もショッキングだったのは、『1世も2世も犠牲になって、3世からブラジル社会にとけ込んだ。今の(デカセギに来ている)人たちもそういう風になるんじゃないか」という』という紺野さんの言葉でした。異分子としてやって来た人たちが受けいられるにはそれ程、長い時間がかかるものなのかと思いました。」
〇「私が初めて日系ブラジル人と関わったのは15才の時でした。しかし、私はなぜ『日系ブラジル人』という人が存在するのか分かっていませんでした。なぜなら日本の教育の中に、日系移民のことは一切触れられていないからです。映画の中で、ファビオくんやドグラスくんの学校へおじいちゃんが訪ねていきますが、子供たちに限らず、学校の先生たちは、なぜ、どういう過去があり、このおじいちゃんが学校に来ているのか分かっているのでしょうか?先生たちもその歴史をきちんと学び、学校教育の現場で様々な形で反映するべきではないか、そう感じました。」
〇「日本に暮らす日系ブラジル人の一言一言は、日本で暮らすことの大変さを伝えており、問題としては知っていたつもりでも、私にとってショッキングでした。また、紺野さんのおっしゃることは、どれも移民の経験を経た深みと広がりがあり、心に響きました。」
〇「紺野さんの言葉はひとつひとつに重みがあり、どの言葉にも意味のないことなんてないように感じました。」
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