あけましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

経済状況は厳しく、国は借金まみれ、放射能汚染、国際関係は緊張、おまけに政治も混乱と、急激な少子高齢化の日本社会はますます多難な新年を迎えました。金の論理が世界中を支配し、弱いところにしわ寄せが行き、その呻吟が耳元に聴こえるようなこの頃です。

昨日は、家族と一緒に、祖父母、父、叔父など、先祖の墓参りに行ってきました。信心深くもなく、先祖信仰もない私ですが、墓前に立つと、亡くなった人たちとの様々な記憶が心に浮かび上がってきます。彼らがいたから自分がここにいることを思いました。

帰りに車で送ってもらったJRの駅は、紺野堅一さんとの思い出の場所でした。旅に出かける紺野さんとご一緒するために、大阪方向のプラットフォームの最前列でよく待ち合わせました。昔、雑誌の編集者だった私は、こういった待ち合わせの場合、必ず5分から10分前には約束の場所に着くのを習慣にしていますが、紺野さんはいつも私が到着した時にはそこで静かに待っておられました。90歳を過ぎた紺野さんをお待たせしたたことにとても困ったことを思い出されます。

情報も希少な時代に、ひとりぼっちで言葉もわからぬ異国に渡り、困難を生き抜いてこられた紺野さんの晩年の姿は、穏やかで光に満ちていました。末娘のネリーさんによると、紺野さんの穏やかさの秘訣は、考えてもどうしようがないことで悩まないことだったそうです。今の閉塞した状況は、人を鬱鬱とした気分にさせます。しかし、紺野さんをはじめ、私に力を与えてくれる人たちは、みなどこかで人の善性を信じていた人たちです。私もどんな状況でも前向きに生きたいと決意を新たにしています。

状況が厳しいのと、希望を持てないのは別のこと。自ら希望の絵を描きつつ、前に進みたいと思います。