この間、上映活動をしてきて、ひとつ気づいたことがあります。それは、地域によって外国人への対応にすざまじい格差があるということです。「不就学児童はいない」と胸をはる地域もあれば、ブラジル人集住地域でも、実態があまり把握できていない地域もあります。

文科省を通して国税で賄われている、ブラジル人の子どもたちの学習支援の虹の架け橋教室についても、残念ながら地域間格差を生み出す結果なっている感はどうしても否めません。元々支援活動が盛んな地域では、教室を行なえる組織がある。一方、どんなにその必要があっても、支援活動が少ない地域では、教室を行なう組織もありません。盛んな組織はさらに支援を拡充し、ないところは相変わらずそのままです。

文科省が今回、外国人児童に対する学習支援強化として、日本語教員の拡充、統一的ガイドラインの作成を施策として打ち出しました。これで格差は改善されるのでしょうが、今までの様子を見ていると、そんなに急にできるのかという危惧も出てきます。

また、支援活動の乏しい地域は、異質なものを受け入れる文化に欠けがちです。そういったところで、単に日本語を教えるなら、それは即、同化政策につながります。異質なものを尊重しつつ受け入れていく、そういった文化を地域で育む施策を同時に行なう必要があると思います。

多くのブラジル人は都会ではなく、地方に住んでいます。都会はその定義上多彩な人が住んでいて、支援、資金、文化的にもリソースが豊富です。それなりにやっていけるし、何かやろうとしてもやりやすい。ところが、地方には、志ある方たちが少数いても、人的にも財政的にもリソースは乏しく、地域社会の意識も開かれているとは言えないところが多数あります。何をするにも、障害が出てきます。こういった場所では、ブラジル人を含む外国人はまったくもって見えない存在になってしまっています。

現在、地方の停滞が問題となっていますが、あらゆる人たちを包摂し、ダイナミックに異質なものと関わっていくことが、地域活性化につながるのではないか。異質な存在は、活性化の起爆剤です。いずれにせよ、そのためには、地縁や人脈だけで一部の人たちが自分の利益を誘導し、守る形とは違う、広く公共の福祉を考え、形にしていくより開かれた精神と実践が必須ではないでしょうか。

都会の人間にとっては、他所の話になりがちですが、実際、ブラジル人たちは、日本の産業を支える存在で、どこに住んでいようと私たちの暮らしに関わっています。地方にだけ任せておいて良い問題ではありません。都市と地方をつなげつつ、その交換の中で、何かできることはないのか。必要な場所に、必要なものが届けられる形をどうしたら作る事ができるのか、皆さんとともに考え、実践していきたいと思います。