サンパウロ その4 日本人学校での上映

ブラジル日本文化福祉協会での上映後、サンパウロ日本人学校から上映の依頼をいただきました。

紺野さんと一緒に上映にうかがった学校は、なんと1万平方メートルもある広々とした敷地にあります。果樹園まであって、子供たちがコーヒーを栽培しているそうです。厳重な二重扉の入り口をガードマンのチェックを受けて、入りました。

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「昔は卵焼きもなかなか食べられなかった。
ごちそうだったんだよ。ブラジルに行ったら、
卵がたくさん食べられると思った。」と、
努めてわかりやすく子供たちに語りかける紺野さん。


小学校1年生から中学3年生まで160名の子供たちと先生、お母さん方が一緒に鑑賞してくださいました。子供たちは大きな声で返事して、元気いっぱいです。小さい子たちも静かに観てくれました。

紺野さんは自分の移民としての人生を30分ほど語り、最後に子供たちに、ブラジルは異なる人種が仲良くくらしていて、これはこれからの世界の姿です。今後、日本に戻って学校でブラジル人の子供に出会ったら仲良くしてあげてくださいと頼みました。

紺野さんは日本で訪れたブラジル人家庭で、ひどいいじめにあった子供たちの話を聞き、心を痛めていて、日本人の子供たちにお願いされたのだと思います。小さな子供たちに向かっても、真剣に真っ正面から向かわれる紺野さんの姿に、私はまた心打たれたのでした。

子供たちからは、行く時に船の上で何を食べていたのかとか、日本に帰りたいと思った事はないのかとか、勝ち組、負け組についてどう思うかなど、様々な質問がでました。皆、自分なりの関心から質問してくれました。

どうして日本人の顔をしたブラジル人がいるのか、というような無知が不思議ではない現在の日本。「ブラジルから来たおじいちゃん」を日本人の子供たちに観てもらえたことは、とてもすばらしい経験でした。鑑賞を依頼してくださったサンパウロ日本人学校の先生たちに大変感謝しています。

日本の学校でも、子供たちに観てもらえるように努力するつもりです。


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山梨 その2 しみじみブルトン

甲府での夜の上映会に、サンパウロの日本移民資料館でボランティアをなさっていた小笠原公衛さんとそのおつれあい、野口純子さんがいらしてくださいました。小笠原さんは、質疑応答の時に移民史に対する深い知識とブラジルでの実地体験に基づいた発言してくださり、感謝。

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野口さんは、野口料理学園の園長さんで、ブルトンというお菓子をプレゼントしてくださったのです。派手なクリームや果物など一切なしの丸いバターケーキ。ブラウンの渋い照りに誘われて、さっそく切り分けて口にすると、あ~、しみじみ、なのでした。キャラメルの香ばしさ、そして、バター、小麦、卵、砂糖、基本の材料で作ったおいしさが体にしみいるようです。2週間、保存できるので、少しずつ味わっています。

そこで、ひらめき! 「ブラジルから来たおじいちゃん」も「しみじみ」の味。静かな中にしみじみと、生きることの意味を噛みしめる作品と言えるのではないだろうか、なんて。

宣伝や見かけの派手さにだまされずに、自分の舌で味わって、胃や心に入るものは、本当に身になるものを選びたいものです。

野口さんのブルトン、食べたい人はこちら
http://www.kateiryouri.com/buruton.html


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サンパウロ その2  紺野さんの話に感動

サンパウロでの上映会に紺野さんがお出で下さったことはすでに書きました。黒でびしっと決めて、杖をついた紺野さんが壇上に上がられると、客席から拍手が。ご紹介した後、一言、お話いただきました。

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上映後、来場者と話す紺野さん。黒できめています。
後ろにいるのは、孫のアナルシアさん。


移民とはどういうことか、いろいろな人にも話を聞き、考えてきました。その結果、より良い生活を求める事、さらに子孫が幸せになる事であるという結論に行き着きました。そして、「ブラジルに来て良かった」と思う人は、みな成功者である。そして、後は、皆さんご自身にゆだねます。

という内容のお話でした。終わった途端に会場からまたどっと拍手がわき起こりました。

様々な困難に直面しながらも、自分の人生を生きてきたという自信に満ちた言葉に、私も胸が熱くなりました。戦前の、お国のために自分の命すら捧げなければならないという教育を受けた紺野さんがこんなにも自分自身から発する考え方に至るには、よほど大変な道筋があったに違いないとも。でも、私も含めて、今の日本で、どれだけの人が自分の人生を自分で肯定的に判断できる人がいるだろうか。

一歩一歩自分の足で踏みしめて生きてきた紺野さんの姿をさらに深く胸に刻みこみ、人生の糧にしたいと思った次第です。

上映会の後、紺野さんとお話しした際に、「移民百周年と言っても、お祭り騒ぎになってしまい、移民本人にその意義を尋ねる人など、ほとんどいない。皆より良い生活を求めてブラジルに渡ったのであって、誰も日伯交流のために移民した人などいない。」と語られました。移民というのは、国と国との関係ではなく、あくまでも個人のものであるという視点を貫いている紺野さんでした。


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引っ越してきました

ブログの引っ越で、皆さんを戸惑わせてしまったかもしれません。申し訳ありません。引き続きどうぞよろしくお願いします。


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ブログ、はじめます

サンパウロ、神戸、山梨での上映、関東方面での所用を終えて、久しぶりにホームベースに戻ってきました。ひと息つきつつ、各所での上映会の様子、すばらしい出会いなどなど、これからブログに書いていきます。東京での劇場公開も決まりました。その詳細もお知らせします。どうぞお楽しみに!

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山梨 その1 若いエネルギー

サンパウロのその2に行く前にちょっと寄り道です。

6月5日に山梨県国際交流協会での上映会がありました。こちらは協会とブラジル人学校、ピタゴラスが協力し合って、日伯交流を図っている、地域における国際交流の先進的な団体です。上映会にもピタゴラスの生徒さん、先生を中心にたくさんのブラジル人が集まってくださいました。上映後の質疑応答も、生徒さんを含めて、活発に発言してくださいました。(生徒さんたちは、上映前に自分たちのルーツを調べるリサーチ学習をしっかり行なった上で、見に来てくださったとの事です。)

それに応えるように日本人からも発言が出て、上映会自体がブラジル人と日本人が良い形で出会う場となって、本当にうれしかったです。日本語の人、ポルトガル語の人が一緒に映画が見られるように両方の言語の字幕を入れて、本当に良かった!(字幕を担当してくれたリリアナさん、ホベルトさん、パメラさん、ありがとう!)

会場では、ブラジルのチーズ・パン、ポン・ジ・ケイジョのあつあつがみんなに配られ、それをほうばりながら映画を見ました。ガラナもありましたよ。こんな工夫もうれしい。

ポルトガル語/日本語の通訳をしてくださった田中エリカさん、そして、心のこもった司会をしてくださったリー・イーメイさん、事務局の大原さんに心から感謝いたします。若々しい意欲とエネルギーで、日本社会を活性化してくださってありがとう!

と基本的にアップビートなのですが、ブラジル人からは、移民に対する歴史認識の欠如、ブラジル人への偏見等々、厳しい指摘や嘆きも聞かれました。日本の学校教育で現代史がおろそかにされている現実、また、少しでも違うものへの警戒・恐怖感などなど、日本社会の弱点をもろに直撃です。この映画の上映活動を続けながら、問題解決に少しでも貢献できればと思います。

「ブラジルから来たおじいちゃん」の上映会は、ブラジル人と日本人の良い出会いの場を提供するとてもいい機会です。地域での国際交流に使っていただけるとうれしいです。


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