先日、お知らせした草津の多文化交流フェスティバルでのサンバの様子、2分半のビデオにまとめました。まだ大ざっぱで、音も直さなければいけないところがありますが、とりあえず、ご覧ください。楽しさとエネルギーは伝わるかと思います。
2010年9月20日
滋賀県草津市 ロクハ公園
ええやんか 多文化交流フェスティバル 草津
出演
コレジオサンタナの子どもたち、中田校長先生、サンバチーム、ヂスペルタドールとフェジョン・プレット、近江パーカッション・ワークショップの皆さん
撮影・編集 栗原奈名子
先日、お知らせした草津の多文化交流フェスティバルでのサンバの様子、2分半のビデオにまとめました。まだ大ざっぱで、音も直さなければいけないところがありますが、とりあえず、ご覧ください。楽しさとエネルギーは伝わるかと思います。
2010年9月20日
滋賀県草津市 ロクハ公園
ええやんか 多文化交流フェスティバル 草津
出演
コレジオサンタナの子どもたち、中田校長先生、サンバチーム、ヂスペルタドールとフェジョン・プレット、近江パーカッション・ワークショップの皆さん
撮影・編集 栗原奈名子
20日、草津市のロクハ公園で草津多文化交流フェスティバルでのサンタナ学園の子どもたちのサンバ出演の応援に、パーカッション・ワークショップの皆さんと行ってきました。
大阪のサンバチーム、ヂスペルタドール、神戸のフェジョン・プレットの皆さんが大勢で駆けつけてくださり、総勢70名くらいになりました。舞台からあふれんばかりの状態でした。今回はなにしろ歌手、ギターつきです! チームの方達に助けていただいて、踊り、演奏の方も元気いっぱい、充実したものになりました。(残念だったのは、敬老の日と重なったため、介護関係のお仕事の方はいらっしゃれなかったことです。でも、ビデオで様子を見ていただくつもりです!)
サンタナの子たちは色とりどりの衣装と背中に羽をくっつけて、カラフルな天使のようです。男の子たちは、水色のスパンコールのベストでおめかししました。間違えちゃいけないと思っているのか、男の子たちは緊張した面持ち。女の子は、のりにのって踊っていいました。子どもたちの親ごさんたちも何人かいらしており、子どもたちの着付けの手伝いをした後、サンバを楽しんでおられました。当日、曇り空だったのですが、この出番の時だけ、途中で日が射してきて、色鮮やかな衣装が生えて、リオ・デ・ジャネイロ気分になりました。太陽も一緒になって参加、演出してくれたというわけです。そして、出かける時にはいつも晴れた紺野さんがあちらから応援してくださっているのかとも思いました。
練習場所を探す所から一緒に取り組んできた、地元のキーパーソン、Kさんもショカリーニョというしゃかしゃか音のする楽器を体全体を使って、演奏されていました。一説によると、よそから出演依頼すら舞い込んだとか。一瞬、カーニバルのようなお祭り気分を振りまいた演し物になりました。ご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。
これで、6月より始めたワークショップは一区切りですが、良い形で続けていけるよう、子どもたちも含めてみんなで話し合いながら、進められればと思います。
私自身は、太鼓を叩けず、記録の為のビデオを撮っていました。ビデオから静止画像を取れれば、写真も載せるつもりです。乞うご期待!
この19日、名古屋市港区の九番団地での上映会にうかがってきました。
保見団地のような巨大な団地ではなく、8棟程の建物が並ぶ団地です。外国人が居住者の4割を占め、ブラジル人がその中でも一番多数です。実際、団地の入り口のところに、ブラジル食料品店があります。土曜日の午後、そこここにブラジルの家族や若い人たちが語らっていました。のどかな雰囲気で、一瞬ブラジルに来たような気持ちになりました。
ここ多文化共生の地域づくりに取り組んでいるNPO学びやの川口さんが会を進めてくださいました。地域の小学校の校長先生、保育所の先生方、また、ゲストとして地域にお住まいのブラジル人2世、3世、ブラジルに日本から行き、事情があって戻ってこられた方、また、ペルーから来られた方、そして団地住民の日本人の皆さんが集まられました。その場の和気あいあいとした雰囲気から日頃の活動がしのばれます。学びやに参加して育った男の子たちが、スクリーンに一番近いシートの上で横になってリラックスしつつ映画を見ていました。映画を見て、自分の祖父母や両親のことを思い出したとブラジル人の皆さんが口々に話されました。また、ブラジルでは、「ニホンジン、日本へ帰れ」と言われて育ったのに、日本に来たら、「ブラジル人」と呼ばれると、苦しい立場を話される方もいらっしゃいました。どの方も、ブラジルで親御さんから厳しく言われて、日本語を勉強してきたとのことで、日本語がとても達者でした。
川口さんは、紺野さんがスカイプで日本社会に送られた言葉を「お守り」として携えておられるとのことです。紺野さんの志を継ぐ人がここにちゃんといてくださると、心強く感じました。
今回、ゆっくりできなかったので、時間の取れる時にぜひまたお訪ねしたいと思いました。