名古屋劇場公開初日

名古屋シネマテークさんに行ってきました。バスに乗って行ったのですが、関西ではなんとなく曇っていたり、雪模様だったのですが、東海に入った途端に明るい太陽が! すっかりいい気分で劇場へ。 

上映前にご挨拶をして、上映後も見てくださった方の何人かとお話することができました。サンパウロの日本人学校に教師として以前赴任されていた方が15歳のお嬢さんと一緒にいらしてくださいました。ちょうど同校から昨年6月に上映に行った時の写真が送られてきたので、それをお見せしてお話しし、とても盛り上がりました。お嬢さんは、ブラジル滞在の経験を生かした仕事をしたいと思っているとおっしゃるので、そこに見えていた国際協力のお仕事をなさっている若い女性3人組にさっそくご紹介しました。

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名古屋シネマテークの光の入るロビー、見にいらしてくださった方達と楽しくここでおしゃべりしました
この3人組の女性たちは、世界、社会の問題に関心が深く、仕事もやる気まんまん、いきいきしていて、日本にもこういう女性たちが生まれてきているんだと、私もうれしくなりました。彼女たちとおしゃべりしていると、シネマテークの支配人の平野さんが、地域で外国人相談員をなさっているお知り合いをご紹介くださいました。今、起こっていることをお話してくださるようお願いして、3人組にもご紹介。厳しい現状を4人でお聞きしました。できることをやるしかないが、厳しい状況だからこそできることもある、前向きに行こうということになりました。

ここでは、現在のことについてはもちろんですが、日本の戦前の文化と日系人の関係や「先進国」と「開発途上国」という概念自体についての疑問にまでお話が広がりました。

いつも上映後はあわただしくなかなかいらした方たちとゆっくりお話できなくて残念に思ってきました。しかし、上映にわざわざ足を運んでくださる方は、大変特別な存在です。この出会いを大切にしたい。いらした方同士をつなげたいという思いがいつもあります。そういう意味で、昨日は、ちょっとその実践ができて、うれしくなりました。私自身、いろいろな事を教えていただき、仲間が増えたという感じです。皆さん、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

そういうことができたのも、名古屋シネマテークのロビーがとても素敵だったからと言えます。ガラス張りでさんさんと太陽が入って、置かれたソファでお昼寝したいような心地よさ。テーブルを囲めるようなスペースがあり、輪になって話が弾みました。

映画を見た後にこういう時間を持てるって本当に最高です。名古屋シネマテークの皆様、本当にありがとうございました。

posted by muchaku at 08:59| Comment(4)TrackBack(0)あれこれ from KURIHARA
 

この記事へのコメント
初日には行けなかったけど、日曜日に行ってきました。おじいちゃんの表情、言葉の一つひとつが、日本人、また日本に住むブラジル人への力強いメッセージに受け取れました。
撮影されたのはいつかわかりませんが、日本にいるブラジル人をとりまく状況は当時と比べて著しく悪化していることと思います。特に、本編に出てくる滋賀県の「Shopping Liberdade」のレストランはどうなっているかが気になりました。去年の前半までは、彼らが言うように、ブラジル人相手だけの商売でも良かったのでしょうが、今は裏目に出ているように思えて心配です。
Posted by chivitas at 2009年02月22日 13:56
chivitas様 

ご来場、コメント、ありがとうございます。

レストランを経営されていた成松政行さんは、闘病しながら働いておられましたが、昨年3月に亡くなられました。より子さんを含め、ご家族はブラジルに戻られました。昨年、6月のサンパウロでの上映会により子さんがいらしてくださり、再会しました。

ブラジル人、ペルー人、皆さん、厳しい状況です。矛盾がいろいろ明らかになったところで、子供の教育の問題など、本当の打開策を打ち出して、解決の道筋をつけていくような動きが出てくるといいと思います。

Posted by 栗原奈名子 at 2009年02月25日 09:08
栗原様 

成松さんのこと、そうでしたか。残念で悲しいです。

実は、微力ながら小生のポルトガル語紙で映画のことを宣伝しました。当日はブラジル人が来ていませんでしたが、彼らがもっと見てくれることを期待しています。

Posted by chvitas at 2009年02月25日 13:27
ご宣伝、ありがとうございます。多くの方に見ていただきたいと思っています。 

成松政行さんはとても優しい方で、お家にうかがった時には、近所の日本人の子供さんがお孫さんたちと遊んでいて、お家が託児所のようになっていました。それを楽しそうに見守っていた政行さんの姿が今も目に浮かびます。親御さんの手の回らないよその子も一緒に自分の家で遊ばせるのが当たり前の彼にとって、日本人はとても冷たい存在に写ったのだと思います。

作品をぜひご覧いただきたかったです。

Posted by 栗原奈名子 at 2009年02月25日 14:06

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明日は名古屋初日、明後日は子供たちの前で

明日は、名古屋の初日です。名古屋シネマテークさんにうかがって、舞台挨拶をいたします。宣伝のために行った時にもたくさんの方にお会いする事ができ、とても良い出会いがありました。明日もまた、いろいろな方にお目にかかれるのではないかとどきどきしています。

本当は、名古屋にもう数日いたいところなのですが、明後日は、JICAで中学生、高校生のための上映会があり、そちらに行く事になっています。日本でもぜひ子供たちに見てもらいたいと思っていましたので、願ってもない機会です。子供たちのエッセイを読みながら、どんなことをしゃべろうかと考えてきました。明後日もどきどき楽しみです。


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おすすめ! ブラジル人と介護についてのテレビ番組

派遣切りにあったブラジル人たちが、介護の仕事に希望を託し働き始めています。しかし、そこでも日本の労働の縮図とでもいうべき矛盾に満ちた状況が繰り広げられていました。その現場を取材したとても興味深い番組が放映されます。以下、お知らせをいただきました。皆さん、ぜひぜひご覧になってください。

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日本テレビ系 25局ネット全国放送
報道番組「ウェークアップ!ぷらす」
2月14日 土曜日 朝8:00より
「介護崩壊 失業日系ブラジル人は救世主となるか?(仮)」

三重県四日市市で、介護士として働くブラジル人女性たちを取材しています。派遣切りに遭った元工場勤務の日系人もかなりおり、人手不足に悩まされていた介護施設に、正社員として雇用されています。

これまで派遣会社のピンハネに遭い、使い捨て労働者として、便利使いをされてきた日系人の新たな戦いの序章だと思い、取材しました。

しかし一方では、介護業界は、ブラジル人もそうですが、インドネシア人やフィリピン人など外国人の手を借りなければ成り立たない程疲弊した労働の現場であることも事実です。そこでは、日本人の介護士は、「福祉」の名の下に薄給で、長時間労働を強いられ、命を預かる重責を担っているにも関わらず社会的地位が低いと嘆いています。さらにそこに介護サービスを受ける利用者の思いや人生観なども錯綜します。

ブラジル人、日本人の双方の視点からみた「介護の現場」という二部構成。


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名古屋に宣伝に行ってきました

名古屋に3泊4日で、配給ともども宣伝に行ってきました。国際センター、交流協会、関連の大学の先生、ブラジル関連のお店、そしてメディア等、あっという間に3日間が過ぎました。ブラジル人集住する名古屋だけあって、映画に対する関心はとても高く、すでに映画の事を知っていてくださって、見たかったとおっしゃってくださる方にも何人かお会いしました。

また、宣伝をしながら、名古屋の状況をうかがうことができました。親が急に仕事を失い、突然ブラジルに帰らなければならなくなってしまい、途方にくれている子供たち、入試にうかったけれど、入学金を自分で稼ごうと水商売に飛び込む子供、名古屋空港から12月だけでブラジルに5000人が旅立ったとのことです。

一方でこちらにとどまる覚悟をしている人も多数います。そういう人たちに向けて、より広い職種につけるように、そのための日本語クラスを緊急に始めた人たちもいます。また、介護の研修を受け始めた人たちも。

こういう状況をみるにつけ、紺野さんの体験に基づいた言葉がますます重く響いてくる今日この頃です。


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若い方からの言葉

若い方から「ブラジルから来たおじいちゃん」に寄せられた言葉を紹介させていただいています。

http://amky.org/senhordobrasil/words6.html


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松永での上映会、制作者冥利に尽きます

撮影で訪れた広島県 福山市松永での上映会に行ってきました。

松永には、800人のブラジル人が在住しています。また、アジアの他の国からの住民もいる多文化の街です。

当初、100名の上映会ということでしたが、問い合わせが多く、会場を急遽多目的室からホールに変えての会となりました。結局、当初の倍の200名の方がご来場くださいました。ブラジル人やアジアの他の国の人たちもいらしてくださいました。

紺野さんと子供たちのユーモラスな会話に思わずみんながくすくす笑ったり、学校に来ないブラジル人の子供たちの話にみんなはっとさせられたり、自分たちの住む街での親近感もあって、皆さん敏感に反応されているのが、手に取るようにわかりました。

上映後には、16年間、地域で外国人相談員をなさってきた方のお話がありました。現状をふまえながら、大変厳しい状況ではあるが、地域で外国人住民を支援していこうと、前向きで元気の出るお話でした。

映画と外国人相談員の方のお話の組み合わせがとても良かった! 今回の会を企画してくださった福山市西部ブロックの方々に感謝です。地元の行政の方がリーダーシップを取って、地域の人々とともに厳しい状況を乗り越えようとしている姿勢が感じられました。

それぞれの思いでそれぞれの場で行なってきたことが今回、こういう形で実を結んだようで、とてもうれしかったです。制作者冥利につきます。地元でとても良い形で上映を行なえた事を関係者の皆様、ご来場くださった皆様、そして撮影に協力してくださったご家族の皆様、学校の皆様に心から感謝しています。

会の後は、撮影でうかがったご家族にお目にかかりました。みんな、元気にしておられ、上映をとても喜んでくださいました。弟くんの方も忙しいご両親をお手伝いして、みちがえるよう。すっかり大人になってきました。

また、ブラジルに戦後渡られ、4年ほど住んだ後、故郷福山に戻ってこられたお二人に再会。ブラジル人の支援を地元で行なってこられたことを、今回お聞きしました。外国係というのを福山市に作り、それが今の外国人相談等につながる、多文化共生先進の福山を作ってきた歴史があることを知りました。ブラジルでの体験のある方がまず支援に取り組まれたのですね。いろいろな方のつながり、努力が積み重なって、多文化の街が成り立っているのだと改めて感じ入りました。(お二人をご紹介くださったKさん、ありがとうございます。)

多文化の街というと、神戸の鷹取が思い起こされます。松永も鷹取も海の近くの温暖な気候、光あふれる開放的な雰囲気、下町気質があります。外国人相談員の方のお話でも、街を歩いていると、ブラジル料理の良い香りが漂ってきたり、子供を自転車に乗せたブラジル人のお母さんが声をかけてくれたりと、語られていました。外国人住民が住みやすい街は、日本人住民にも住みやすい街です。日本にはなくなりつつある下町の風景が、違う形で復活してきているのかもしれません。松永の「多文化共生のまちづくり」がますます発展する事を願っています。


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