広島に行ってきました

広島の横川シネマで先行上映会があり、現地に行ってきました。広島の皆さんが暖かく迎えてくださり、本当に感謝しています。以前取材してくださった記者の方、大学の時の友人、そして新しく出会った人々、ほんとにありがとうございます。

上映には、日曜日の朝にも関わらず、様々な活動に携わる方や市の国際交流課の方がいらしてくださり、12月の劇場公開に向けての試写会的な色合いの濃い、上映会となりました。

横川シネマの近所には、エスパッソブラジルというブラジル雑貨店があり、そちらにもお邪魔しました。かわいいものがいっぱいで、私はカーナバルの時に頭につけるピンクのきらきらティアラを買ってしまいました。

その後、ペアセロベという多文化交流のイベントにも参加。そこでなんと、よさこいソーランの踊りに挟まれて、「ブラジルから来たおじいちゃん」をご紹介しました。よさこいに出演するお孫さんを見に来たような風情のおばあちゃんたちが、ためつすがめつ映画のちらしをご覧になっていました。元気なおじいちゃんに会いに来ていただけるとうれしいなと思いました。

隣では、なんとフード・フェスティバルが開かれており、そこに広島の山海の珍味が。焼き牡蠣や牡蠣フライ、お好み焼き、牡蠣のお焼きなどを食べて、すっかりご機嫌になりました。

夜は、廿日市のミニFM局の藤井尚子さんのHOT KE NIGHTに午後8時から10時まで出演。音楽評論家で、移民等についても造詣の深い東琢磨さんと共にゲストトーク。藤井さんと東さんのおかげでリラックスして、おしゃべりできました。

さらにその後は、打ち上げ。夜中の12時過ぎまで、充実した一日を過ごす事ができました。

広島のみなみなさま、本当にありがとうございます。12月にまたうかがいますので、どうぞよろしくお願いします!


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International Pressで紹介(2008.10.18)

在日ブラジル人向けの週刊新聞「インターナショナルプレス ポルトガル語版」で、「ブラジルから来たおじいちゃん」が、写真入りで大きく掲載いただいています。


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朝日おかあさん新聞、映画欄(2008.10.20)

朝日新聞の姉妹紙「朝日小学生新聞」の朝日おかあさん新聞Vol.53(2008年10月号)の映画欄で紹介いただいています。


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Japan Times (2008.10.22)

東京国際女性映画祭、クロージング上映の当日に、”The Japan Times”に掲載いただきました。

Film ‘Grandpa’ looks at fate of Brazilians here.
(Mariko Yasumoto, Kyodo)


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読売新聞朝刊 (2008.10.27)

読売新聞朝刊の「問い語り」で、「ブラジルから来たおじいちゃん」を取り上げていただいています。

「おじいちゃんの励まし」(社会部 棚瀬篤)


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映画祭で感じた事、考えた事

今回の東京国際女性映画祭で映画を見て、いろいろなことを考えさせられました。

羽田澄子監督の「ああ、満蒙開拓団」では、敗戦数ヶ月前に満州への移民を国に勧められ、ソ連が攻めて来るので、逃げようとしたその当日に日本からの荷物が到着したと証言している人がいました。ブラジル移民より少し時期は後ですが、同じような時期にブラジルや満州等様々な場所に、貧困に苦しむ人たちが押し出されていったのだと実感できました。

2日目の川喜多かしこさんの生誕百周年記念に上映された「制服の処女」(1931年)は、ドイツの女子寄宿学校で、女学生たちが団結して、抑圧的な学校に反乱するという内容です。

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今年は、川喜多さんの生誕百周年であるとともに、ブラジル移民百周年。紺野さんがブラジルに向けて日本を旅立ったのが1931年、満州事変が起こった年です。また、今話題の「蟹工船」はその2年前1929年に発表されました。その1929年の10月24日にニューヨークのウォール街で株価が大暴落したのがきっかけで世界が大恐慌に陥りました。現在の経済や社会の状況と引き比べると、時代が一巡してきたのではないかという気がしてなりません。

日本は戦後、経済発展して、世界で2番目のお金持ちになったので、先回とは違う形でしょうが、厳しい時期が続くのではないでしょうか。戦争や棄民(以前とは異なる形でのものも含めて)という手段でなく、私たちは困難を乗り越えていけるのでしょうか。アメリカ合衆国をはじめとする先進国がこれまでの消費にまみれたライフスタイルやマネーゲーム的経済のあり方を深く顧みる機会にすることができるのでしょうか。

川喜多さんが日本に輸入した「制服の処女」を見て、どれだけの女性たちが勇気と希望を得たでしょうか。また、羽田さんの作品を見て、当時の日本政府が自国民にすらこのような仕打ちをし、未だに謝罪もしていないことを生々しく知る事ができます。

そして、パニックに陥らず、希望を捨てず、当の時代を自分の頭で考え、足を踏みしめ、生き抜いてきた紺野さんのたんたんとしたあり様、姿は、私たちに生きる力を与えてくれると思います。


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