東近江市でブラジル人の子どもたちのための未来ワークショップ

ここからちらしをダウンロードできます。(ポルトガル語のものもあります。)

1月講演会フライヤー_docx

download a folha daqui (Tem informação em português)

MEU FUTURO

O que você quer ser no futuro?

Jogador de futebol? Cantor? Professor?

Cabeleireiro? Enfermeiro? Engenheiro mecânico?

Quantas profissões mais há no mundo?

O que nós estudantes devemos fazer para realizarmos esses sonhos?

Luis Shichinoe veio ao Japão aos 9 anos de idade sem saber uma palavra em japonês. Não teve uma vida escolar fácil. Mas, hoje ele conta que foi melhor não ter desistido dos estudos apesar das dificuldades. Ele terminou seus estudos do ensino médio na escola japonesa e atualmente trabalha na NTT (empresa telefônica) de Oumi Hachiman.

Que tal ouvir a história de Luis e pensarmos sobre o nosso futuro?

Aos pais e responsáveis: esta será uma boa oportunidade para perguntar sobre a continuidade ou não dos estudos e sobre a profissão dos filhos.

Data: 26 de janeiro de 2013

Horário: 13:00 às 16:00

Local: Higashi oumi-shi Taishi hall (Mapa no verso da folha)

Programação:

13:00-14:00  Palestra do Luis Shichinoe, apresentação de DVD

14:00-14:40  Workshop:  Meu sonho

(coordenação e intérprete: Edna Hirata, CIR de Hikone)

14:40-15:00  Conclusão final

15:00-16:00  Intercâmbio

(com comidas brasileiras e apresentação de músico brasileiro)

Inscrição: não será necessário.

A entrada será franca.

Realização: Associação Internacional de Higashi Oumi, Oumi Samba percussão workshop

 

以前の映画上映でご縁ができ、「おじいちゃん」の映画では制作中から協力をいただいた滋賀県東近江市の方たちと、ここ3年パーカッションワークショップを開催してきました。そこから派生して、同市の国際交流協会と共催で、この1月26日にブラジル人の子どもたち、保護者、関係者を対象とした、講演とワークショップを開きます。

同市で育ち、現在、日本の会社で働く若者の体験談を聞いた後、子どもたちに自らの将来を考えてもらいます。どうしたらそこに到着できるのか、道筋をつけ、今、何をする必要があるのか、考えます。それを受けて、ブラジル人、日本人の大人が一緒に子どもたちを支えようという試みです。

パーカッションは、直接社会問題に関わるようなものではありませんが、その場を通して、直接の交流があり、お互いの理解が深まりました。その結果、今回のような催しができるようになり、感慨深いです。

東近江市以外の方の参加もOKですので、知り合いのブラジル人の子どもたち、ご家族にぜひお声をおかけください。

ブラジルのお菓子や音楽もありますよ!

 


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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

経済状況は厳しく、国は借金まみれ、放射能汚染、国際関係は緊張、おまけに政治も混乱と、急激な少子高齢化の日本社会はますます多難な新年を迎えました。金の論理が世界中を支配し、弱いところにしわ寄せが行き、その呻吟が耳元に聴こえるようなこの頃です。

昨日は、家族と一緒に、祖父母、父、叔父など、先祖の墓参りに行ってきました。信心深くもなく、先祖信仰もない私ですが、墓前に立つと、亡くなった人たちとの様々な記憶が心に浮かび上がってきます。彼らがいたから自分がここにいることを思いました。

帰りに車で送ってもらったJRの駅は、紺野堅一さんとの思い出の場所でした。旅に出かける紺野さんとご一緒するために、大阪方向のプラットフォームの最前列でよく待ち合わせました。昔、雑誌の編集者だった私は、こういった待ち合わせの場合、必ず5分から10分前には約束の場所に着くのを習慣にしていますが、紺野さんはいつも私が到着した時にはそこで静かに待っておられました。90歳を過ぎた紺野さんをお待たせしたたことにとても困ったことを思い出されます。

情報も希少な時代に、ひとりぼっちで言葉もわからぬ異国に渡り、困難を生き抜いてこられた紺野さんの晩年の姿は、穏やかで光に満ちていました。末娘のネリーさんによると、紺野さんの穏やかさの秘訣は、考えてもどうしようがないことで悩まないことだったそうです。今の閉塞した状況は、人を鬱鬱とした気分にさせます。しかし、紺野さんをはじめ、私に力を与えてくれる人たちは、みなどこかで人の善性を信じていた人たちです。私もどんな状況でも前向きに生きたいと決意を新たにしています。

状況が厳しいのと、希望を持てないのは別のこと。自ら希望の絵を描きつつ、前に進みたいと思います。


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