名古屋学院大学上映からの感想 その3

引き続き、名古屋学院大学の上映からの感想です。

「紺野さんの言葉の一つ一つに重みを感じました。

今回、この映画の中で、紺野さんのブラジルに渡ってからの苦労や大変さをみましたが、きっとそれ以上の苦労や大変さがあったと思います。私たちは、そのほんの一部分でも見ることができてよかったです。

紺野さんの表情はとても穏やかで、とても素敵なおじいちゃんだなと思いました。」

映像で見られなかったことにも思いを馳せてくださっています。機会があれば、国立国会図書館のサイトにもブラジル移民関係の充実した資料がまとまって見やすく掲載されているので、ブラジル移民の歴史を勉強してみてください。

「90歳を超えても、日本とブラジルを行き来し、デカセギに来ているブラジル人のために活動しているのはすごいと思いました。紺野さんの言葉の一つ一つが響いて、生きることの大切さを学ばされました。」

紺野さんの言葉、本当にすばらしいです。時々、思い起こしてみてください。「これまでの困難を生きる糧にされていることが紺野さんの表情によく表れていたと思います。日系ブラジル人の教育や労働問題を知るための入門的な映画として完成度の高いものと言えるのではないかと思いました。」

これはご覧くださった先生のお言葉です。うれしいですね。多くの大学で教材と使っていただけるよう努力したいと思います。


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京都上映会報告

2月12日、京都 ひとまち交流館で、グローバリゼーションとひとの移動映画祭の一環として「ブラジルから来たおじいちゃん』が上映されました。

滋賀でパーカッション・ワークショップを一緒に開いている仲間や以前から『ブラジルから来たおじいちゃん』を応援してくださっている方がいらしてくださるなど、地元ならではの上映会になりました。また、ブラジルに住んだ経験があり、ブラジル人コミュニティに関わっている方達も参加されました。

トークの時間が1時間と長めだったので、プレゼンテーションをコンピューターに準備していきました。しかし、まず会場からのインプットをと思い、質問を受け付けると、のっけからブラジル人の子どもたちの教育についての質問が飛び出しました。これは私が一番関心のあるテーマで渡りに船でした。日本での外国人児童への対応、これまで私が上映等であちこち見てきた事など、お話ししました。

この後、次から次へと話したいと思っていたことへの良い質問が相次ぎ、紺野さんとの出会い、08年のサンパウロ上映での紺野さんのお話、今後の活動へと話が進みました。これらのテーマに対応して用意した写真もお見せすることができ、あっという間に1時間が過ぎました。

会場の撤収の時間が迫り、観客の皆さんも一緒に、会場の片付けをするなど、アット・ホームな会でした。グローバリゼーションとひとの移動映画祭の皆様、ありがとうございました。


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明日、京都上映 『ブラジルから来たおじいちゃん』

『ブラジルから来たおじいちゃん』が、京都で開催されるグローバリゼーションとひとの移動映画祭で、2月12日、午後6時半から7時半まで、ひと・まち交流館 第五会議室(3階)にて上映されます。参加費は、1,000円。

午後7時40分から8時40分までの監督のトークセッションでは、撮影時の模様、サンパウロでの上映、その時の紺野さんの様子、これまでの、特にブラジル人集住地域での上映会の風景等を写真でお見せします。乞うご期待!

詳細は
http://amenic2011.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/um-senhor-do-br.html

グローバリゼーションとひとの移動映画祭ブログ
http://amenic2011.cocolog-nifty.com/blog/


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名古屋学院大学上映からの感想 その2

名古屋学院大学の学生さんたちの感想、引き続きご紹介します。

「90を越えているにもかかわらず、じっとしているわけではないブラジルから来たおじいちゃん、とてもパワフルさを感じました。移民ということで言葉も、文化も全く違います。その中で諦めなかった力がすごいと思いました。
いろいろなことを体験しているからこそ、わかることがたくさんあるのだと思いました。」

体験から学ぶことは大切ですね。最近、外国旅行でもボランティアでも、若いうちにいろいろな体験を積んでいただきたいです。
苦しい体験も後から見ると、自分の栄養になっていたことがわかります。

「日系人として全く知らないブラジルで諦めずに努力して70年以上住むというその考えがすごいと感じました。90歳を過ぎても毎年ブラジルから日本に来て在日ブラジル人の方々にアドバイスをする行動力は、今の日本人の見習うべき点であり、僕自身も海外の事情に対して積極的に調べたり、訪れたりしようと思います。」

その関心をどんどん追求してください。一方、日本の国内にも外国人が多数住んでいて、言語、文化の違いからたくさんの問題を抱えながら暮らしていることを忘れないで! 海外との比較研究するなど、日本の現実にも目を向けてください。

「例えば、この話のように家族の中で誰かが他の国へ移住することになれば、その子孫は自動的にハーフの子どもが生まれる確率が高くなるし、そういう人たちは人生の中で頑張っていかなければいけない事が周りの人よりもあるから大変だと思いました。差別というものはあってはならないものだけど、なくすのは無理に等しいと思うので外国に住んだり、共生していくことの難しさが伝わりました。大人も労働条件が厳しかったりして下に見下ろされている感じがかわいそうでした。」

紺野さんとのご縁でブラジルに何度か行きましたし、米国に十数年住んでいた経験から言いますと、両国ではハーフだったり、クォーターだったりすることはそんなに特別なことではありませんでした。彼らは二つの、いやそれ以上の文化や伝統を体現して、つないでくれる人たちです。世界がグローバル化している今,世界中で普通の存在になっていくのではないでしょうか。

差別というのは人間が作り出すものなのだから、私たちが努力をしてなくしていきたいですね。公民権運動の言葉を読むと、差別する側がいかに心の貧しい、恥ずかしい存在であるかを痛感させられます。現実を直視しつつも、「私たちの社会を誰もが住みやすい社会にしよう」という自負をもって差別をなくしていきたいですね。


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名古屋学院大学上映からの感想 その1

名古屋学院大学で上映をしていただきました。たくさんの学生さんたちがご覧くださり、感想を寄せてくださっています。その中から、先生のお許しを得て、いくつか言葉を紹介させていただきます。若い柔らかいこころに、しっかり紺野さんの姿が刻みこまれているのがわかります。簡単ですが、各々に簡単なコメントをつけました。

「今回の映画を見て、ブラジルの人々のつながりとかあたたかさを知った気がします。

紺野さんは、自分が歩んできた歴史をたくさんの人々に会って、その時どんな気持ちだったかとかいろんな事を考えながら、旅するすがたを見て、とてもうらやましく感じました。自分もこれからどのように生きていくかわかりませんが、紺野さんのように最後に良い思いでになっていけばいいなと思いました。

また、ブラジルからの出かせぎで日本に来る人々が実際にどのような問題に直面しているのかを見て、日本でも援助というか少しでも手助けができないか考えていかなければならないと感じました。国は違っても、同じ人間なのだし、もっとお互いに尊重していくべきだと思います。

紺野さんのような、二つの国がこれからどうあるべきか考えられるような人がふえればいいと思います。」

お若いのにすでに自分が年を重ねた時にどうありたいかを考えておられるのに驚きました。二つの国からはじめて、紺野さんのように「地球を宇宙から眺める」ような視点をも持てるようになりたいですね。

ブラジルの人たちはおおらかで暖かい人が多いです。ぜひお友達を作ってください。

「まず、19歳の時に、紺野さんがブラジルに渡ったことに驚いた。

たくさんの人が希望を持って、朝鮮やブラジルへ渡って行ったのに、会長はいい加減だと思った。
そんな仕事はなかなか上手くいかなかったのに、粘ったから、いい生活が送れたのだと思った。
年に1ヶ月、日本に来る時に、ブラジルから日本へ「デカセギ」に来ているブラジル人宅を訪ねる紺野さんは、まるで家族のようにふるまいだった。

また、アドバイスの中に、「10年は我慢し、そしたらブラジルで働かなくていい」という考え方も、今まで紺野さんが苦労したり、いろんな経験をしてきたからこそ、言えることだと思った。紺野さんの力強く生きる姿を見て、元気をもらいました。」

19歳で、見ず知らずの土地に一人で乗り込んでいく決断をするなんて、現代ではなかなか考えにくいことです。紺野さんがブラジルに渡られた1936年は、満州事変や東北大飢饉の年でした。戦争が迫り、大不況の中、せっぱつまった社会状況だったこともあるかもしれません。紺野さんの行かれた旧制中学の同級生が彼も含めて3人、ブラジルに渡られたそうです。

「この移民の問題は、不景気の影響ももちろんあると思うし、ブラジルに帰るとか、いろいろな問題は山積みだと思う。

しかしこの根底にあるのは、”私は何ものなのか。何人として生きるのか”ということだと思う。10歳以上になるとブラジル人でも日本人でもなくなるという言葉であったり、生きる土地を変える⇒生活そのものを変えるという事を当たり前のように話したりしている。(話さなければ、決めなければいけない)といったことが、誰として生きるのか、という迷いだったり、本当はこう生きたいのにできないという葛藤だったり、マイナスな面が多くみられた。子どもの半分しか中学校にいかないという問題もここにあるのではないか。人が人として生きる為には、必ず土地(home)がいる。それを確立する為に動かなければいけない苦労を私たちは知らなければいけないと思った。

この問題を様々な視点から見つめ、調べていきたいと思った。」

一度直接お話してみたい感じです。移動すると、外から何者かを問われ、また、自分自身も自問自答しますが、実はどこにいてもそれは問われているのだと思います。葛藤や悩みはマイナスだとも言えますが、それは考え、人生を深める機会を与えられることでもありますね。ぜひリサーチを進めてください。


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和歌山での上映会からの感想

和歌山県は移民を多数送り出した県でもあり、特に移民への関心が高い地域です。今回の上映会でも映画とともに、中南米協会の方のお話があったそうです。コーヒーも出されて、いい雰囲気の会だったとか。感想をいくつかご紹介させていただきます。

「戦前、戦後、今を一生懸命、誠実に行きてこられた紺野さんに胸打たれました。ご苦難が続いたはずなのに、ご自分の移住生活で戦争にまきこまれなかったなどと、人生を良しと肯定的におっしゃているお姿にほっとしました。そして、私もそうありたいなと思いました。ご高齢になられ、来日されるようになり、ブラジルからの日系人の日本での暮らしを案じ、穏やかに語りかける。たんたんとした映画でしたが、静かに心に残るものがありました。」

「おじいさんのあたたかさが感じられました」

「『人間としての価値・・・』『・・・人類のために尽くす』という”おじいちゃん”の映画の最後のことばが印象に残っています。」

「驚いたのは、92歳の高齢で、背筋がピンとして、いろいろな在日ブラジル人を訪ねている姿だった。日本人に、在日ブラジル人に対する偏見を持たないように伝えるのは、大切なこと。多くの子どもが中学校を卒業したら、そのままバイトという現実はショックだった。日本人とブラジル人がわかり合える日が来るよう、自分に何ができるか考えてゆきたい。」


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