明日、2回目のパーカッションワークショップが開かれます。
機材がようやく整い、先回撮影したビデオを編集し始めました。あの時の幸せな高揚した気分が戻ってきます。麦、鳥の声、緑、水の音、自然の美しさに触発されます。そんな中でみんながパーカッションを叩いて、子どもも大人も楽しんでいる様子がしっかり写っていて感激しました。
明日もしっかり撮影して、短くまとめてYoutubeにでもアップしようかと思います。見た人は、みんなきっと参加したくなること間違いなし!
明日、2回目のパーカッションワークショップが開かれます。
機材がようやく整い、先回撮影したビデオを編集し始めました。あの時の幸せな高揚した気分が戻ってきます。麦、鳥の声、緑、水の音、自然の美しさに触発されます。そんな中でみんながパーカッションを叩いて、子どもも大人も楽しんでいる様子がしっかり写っていて感激しました。
明日もしっかり撮影して、短くまとめてYoutubeにでもアップしようかと思います。見た人は、みんなきっと参加したくなること間違いなし!
13日に大阪大学で上映会を開いていただきました。
豪雨が心配される中,多数の方がご参加くださり、とてもアットホームな上映会になりました。それも、上映を企画してくださったのが高校の同級生である金水先生だったことと、阪大の待兼山校舎の最寄り駅は私の子ども時代の最寄り駅でもあって、地元感覚もありました。
観客の大半が若い学生さんたちだったせいか、ファビオ君とドグラス君が登場する場面では、あちこちで笑いが起こりました。
大きな声で笑いが聞こえていたので、きっとブラジル人の方がいらしているなと思っていましたら、ポルトガル語を阪大で教えておられるブラジル人の先生でした。また、日本でのブラジル人の実態調査などを行っている方もお見えになりました。
阪大の最寄り駅の石橋は宝塚線ということもあり、金水先生が最近起こった宝塚での放火事件のことにも触れてくださいました。自分たちの身近なことだということを皆さんに感じていただけたればと思いました。
一般の日本人の視野には、いまだに日本在住の外国人は入っていません。相変わらず、単一民族なんて言っている人がいて、ちょっと困ってしまいます。今後の日本の将来を考える上で、日本に住む外国人たちが社会の活性化に不可欠です。そのためには、日本人の意識を変えることが大切だと感じます。
前作『ルッキング・フォー・フミコ』でご縁のできた地域で、ブラジル人学校のこどもたち、地域の人々、都市からの人々が参加するパーカッション・ワークショップを6月に開いた所、大変好評でした。子どもたちから、日本の子も,ブラジルの子も、今度の土曜日にまた行くの?とか、今度行く時はもっと早い時間からやろうとか、嬉しい言葉をもらいました。
先回、パーカッションを教えてくれた人たちが日程的に都合がつかなかったり、国際交流協会の会長さんがいろいろご支援してくださっているのですが、やはり私一人では力不足であったりするので、次回はどうかなと思っていました。しかし、『ブラジルから来たおじいちゃん』を上映してくださった大阪の小学校の先生が、実は、サンバチームのリーダーで、お話をしたところ、サンバを指導にチームを引き連れて、大阪から遠路はるばるいらしてくださることになりました! 感謝のひと言です。
9月20日にある多文化のお祭りでブラジル人学校の子どもたちが毎年サンバを披露するのですが、一緒に出場しませんかとお招きいただき、ワークショップのみんなもすっかり乗り気になっています。
本当にささやかな試みですが、参加された方達の開放感・度はとても高かったです。宝塚の事件を見るにつけ、こういう楽しい居場所、出会い・交流の場を子どもたち、おとなたちと一緒に作っていければと思います。
また、国際交流と言っても、今も多くの地域で、相変わらず海外の姉妹都市との交流が優先されている現状があります。ぜひ足元の国際交流を最優先していかなければと思います。異なるものが接する事で、エネルギーのダイナミズムが湧いてきます。同化ばかりしていては、どんどん縮んでいってしまいます。それが今の日本の現状ではないでしょうか。社会のダイナミズムやエネルギーを増やすのも、外に開いて、息を吸い込んで、吐いて吸い込んで、生命の営みと同じではないでしょうか。
宝塚の放火事件ですが、彼女の気持ちが落ち着いて自分がしたことに向き合ったらどうなるのか、どこか逃げ場があったなら違う結果になっていたのではと、胸がしめつけられる思いです。
家族は密室です。私自身の場合、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさんや自然などが逃げ場になっていたと思います。
今の時代、なかなか良い逃げ場が少ないですが、子どもたちのために新しい居場所を作っていかなくてはと思う今日この頃です。
兵庫県宝塚市で15歳のブラジル籍の少女が自分の家に放火し、お母さんが亡くなったというニュース。まだ、詳しいことはわかりませんが、家族の中で母親の連れ子という立場だったそうです。いったいどんな背景があったのか、報道を注視したいと思います。
先日、実家を訪ねた時に、BSで12回シリーズの『ハーバード白熱教室』を見ました。正義について考えるという内容で、その回は、自分と同じ寮にいる学生がカンニングをしているのを見つけたら、それを通報するかどうかというような話をマイケル・サンデル教授が学生に投げかけていました。学生に身近な例を持ち出して、そこで正義について考えさせるとても面白いクラスです。学生たちが、日本の大講義室どころではない巨大な教室であるにもかかわらず、正義とは何かについて自らの意見を論理立ててどうどうと述べる姿に感動しました。
ハーバードということで、その質の高さはあるかもしれませんが、こうした授業スタイルは、アメリカでは当たり前でした。先日、上映に行った大学のアメリカ人の先生のクラスでも、日本人の学生が良い質問をいきいきと尋ねてくれたのを思い出します。日本人だって、そのような教育、環境を与えられれば、当然できるようになるのです。この番組が日本の教育を再考するきっかけになればと思いました。また、異なった意見を口にする事は悪ではないということも実感してもらえればと考えます。前置きが長くなりましたが、この番組を見て、紺野さんの「住んでいるところに尽くすのが本当で、国がなくなってしまえば、人類に尽くすでいいと思う。そういう時代にならなければいけない」という言葉です。
紺野さんは、個人の命よりなによりも国が優先すると考えられた時代に育てられました。しかし、ブラジル移民として生きていく中、様々な体験を経て、異なった正義を考えるようになりました。紺野さんは、結局、日本人ではあっても、自分の住んでいる所を大切にして生きていくのが順当だと考えるようになります。そして、まだまだ国というものが重要な役割を果たしているが、今後、紆余曲折はありながらも、世界がもっとつながっていき、人類のために尽くす時代が来るだろうとおっしゃっているのです。
自分の国、自分の住んでいる所だけの利益を考えるのではなく、すべての人々を対象としたより包摂的な正義というものが考えられる世の中になるというわけです。紺野さんがこの白熱教室に登場したら、ハーバードの学生はどんな風に反応しただろうかと、想像してみたくなります。
これまでの上映会でも、最近の上映会でも若い人たちがみな紺野さんがすばらしいという感想を持ってくれました。そして、「人類のために尽くす」という言葉に共感しています。日本の社会でもこういった意識がもっと広がり、自分の、自分の地域の、自分の組織の既得権益を守ることにきゅうきゅうとするのではなく、もっと包摂的に正義を考えられるようになれば、この社会の停滞がずいぶん改善されるだろうと思います。上映を通して、紺野さんの正義についての考えも伝えていきたいです。