6月27日~28日に熊本で開催される第2回東アジア移住共生映画祭で、27日の午後4時10分から上映いただきます。
8月22日(土)~28日(金)1日1回上映
だからこそ、彼女たちも私の前作を見て、おもしろがってくれたのかもしれません。今は女性の中で階層分化してしまい、以前のような運動も目に見えるような形では存在しなくなりました。一見、自由になったように見えるだけに、余計に事態は深刻かも。今や、仕事をして、子供も産まないと、一人前ではないというような言説やイメージが流通させられて、とても気の毒。産婦人科医が不足して、お産の時に、病院をタライ回しされて、亡くなる女性が続出するような事態なのに。
一方、勤務医の友人たちは、超過酷な毎日を送っていて、彼らのような職業倫理の高いお医者さんたちがいなくなれば、あっという間にこの国の医療は崩壊してしまうのは目に見えています。
もっと根本から生きるということを考えて、様々なことを考え直して、変えていかなければいけない時代になっています。一部の人たちの間で表面的に物事を決めるのではなく、公共の場を広げて、本当の議論をして、ひとりひとりの生きる力をもっともっと引き出すような社会にしていかないとと思います。
若い女性たちに会って、30年前と本質あまり変わっていない状況を見たのは、ショックでした。
昨日は、海外移住と文化の交流センターの開館式が行なわれるという事で、神戸まで行ってきました。映画の最後の方で、紺野さんが訪ねられる旧国立神戸移民収容所です。移民たちが出発直前に滞在した場所です。紺野さんご自身もここに滞在されたとのことで、ブラジル出発前にどのようなお気持ちだったか、ご家族がどうおっしゃったのかをお尋ねしたところです。場所の記憶に誘われて、紺野さんは、昔の青年に戻ったかのように、当時の思いを語られました。その顔は、輝いて。昭和6年、紺野さん、19歳の時のことです。
収容所時代の宿泊室の様子が復元されています
紺野さんにお話をうかがった部屋はこんな風に変身しました震災に生き残ったものの、取り壊しも考えられていたところを、日系の人たちが中心になって保存要望の署名活動が起こり、それがかない、耐震補強とともに、移住の資料館、日系ブラジル人を中心とした外国人NPO、芸術関連のNPOの活動場所として新装されました。
金ぴかになっていたりしたらどうしようかと心配でしたが、塗装等が新しくなり、展示などで、いろいろ変わった面もありますが、あのどこかがらんとした空間はそのままです。きっと人の少ない時に行くと、いろいろな声がまだまだ聞こえてきそうです。
昔の建物をつぶして新しい高層建築等を建てるのが今までのならいでしたが、今回、このような形でそこに住む記憶とともに保存されたことは、本当にすばらしいことです。
私も時々、ここに紺野さんのスピリットに会いに行こうと思います。
お知らせが遅くなってしまいましたが、
この5月18日の午後6時半(日本時間の午前6時半)に、紺野堅一さんがサンパウロにて逝去されました。96歳でした。その夜から翌日19日午後2時まで、カルタ・パラダにてお通夜が行なわれ、続いてクレマトリオ・ダ・ヴィラ・アルピナにてお葬式の後、荼毘に付されたとのことです。
お孫さんのフェルナンド・マツヤマさんからのメイルには、「私たちみんなに人生の教訓を残してくれました。今は、きっと平安のうちにおばあちゃんと一緒にくつろいでいることと思います。」と記されていました。
お知らせが遅くなり、大変申し訳ありません。大変な高齢であったとは言え、お元気になさっていたので、未だに亡くなられたことが信じられない気持ちです。紺野さんのようなすばらしい方と知り合う事ができ、また、再会して、その姿を映像に残す事ができたことは、本当に幸運でした。
紺野さんのご冥福をお祈りし、与えられた命を全うされたその人生に乾杯したいと思います。
栗原奈名子
監督「ブラジルから来たおじいちゃん」
ブラジル移民の100年という、移民の歴史が豊富な資料とともにわかりやすく紹介されているサイトを見つけました。国会図書館が作っているようです。ポルトガル語のページもあります。写真とか、当時の文書等も掲載されていて、とても興味深いです。ぜひご覧になってみてください。
http://www.ndl.go.jp/brasil/index.html