昨日、京都精華大学での上映後の講演に行ってきました。椅子とテーブルが置いてある図書館の一角が講演のロケーション。ちゃんとプロジェクションのパネルが壁に設置されていてプレゼンテーション用のソフトで準備してきたものをお見せしながら、まず私の方からお話しました。
しかし、その後は、椅子を丸く並べて、なるたけ気楽におしゃべりしようということになりました。他大学で教えていらっしゃる日系アメリカ人の先生や京都府下で国際交流に関わっている方、また、非常勤の先生をなさっている方、また大学生など、様々です。いらした方どうしでのお話も始まったりして、とても面白い場になりました。
中には、ドキュメンタリー作りに興味がある方たちもいらっしゃいました。作ったものを見せてもらったり、それにサポーティブなコメントをしたりというのは、私自身がやってみたいことでもあり、地元でそういった活動をできればうれしいなとも感じました。そういうことから、表現を育て、文化を創り、人と人をつなげるようなことができれば、社会の活性化につながるとも思います。
ただ、残念なことは、昨日ドキュメンタリー作りをしたいという若い方にも申し上げたのですが、日本ではそういう活動を続けるには、非常に厳しい状況にあって、人にお薦めしにくいということです。日本は、製作のための助成がほとんどなく、ないどころか、最近、一つ、大きなものが廃止になりました。
また、できたものを上映するのも自分で開拓しなければならず、公共放送にもインデペンデントの作品を放映する枠がありません。アメリカでも競争が激しくて大変は大変ですが、違う意味での大変で、インフラが整っている事と、表現者への尊敬、また製作中に見せて、サポーティブで的確なコメントをくれる人材の豊富さなどは、比べ物になりません。ヨーロッパはもちろん、韓国などはとても優れた環境が整っているようです。
ぜひ日本でも、箱ものではなく、こういったサポートの方に、お金を回していただきたいと、切に願う次第です。ドキュメンタリーは、ヒットする劇映画のようにお金儲けにはあまりつながらないことが多いですが、自分の住んでいる社会の問題を取り上げ、人を結ぶ力があります。こういった風を起こしていく中で新たな人の結びつきやアイディアやビジョンが生まれてくる。そうすれば、厳しい状況であっても、人は希望を持って生きていけると思うのです。
このようなインフラ整備や文化の育成は、待っていたって、誰がやってくれるわけでもない。私自身が、海外での体験を持つ作り手としていろいろ発言していかなければならない、また、地元で種をまいていかなければならなちと感じる今日このごろです。